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インド最大のスラム街ダラヴィに住むムラドは、ラップと出会い人生が一変、ラップバトルで優勝を目指す! その道のりで、親との衝突、友や恋人との絆を通して成長していく。
実在するアーティストの驚きの半生を描き、世界中で喝采を浴びた注目作が日本公開!主演は、次世代のキング★オブ★ボリウッドと目されるランヴィール・シン!メガホンを取るのは、北インド映画界の実力派女性監督ゾーヤー・アクタル。プロデューサーはUSヒップホップ史に燦然と輝く数々の名曲で知られるラッパーNAS。ムラドはなぜ、ラップにのめり込むのか?背景には、インド社会が抱える格差、宗教的差別から解放されたいと願う若者の現実が潜んでいる−−。
ムラド(ランヴィール・シン)は、雇われ運転手の父を持ち、スラムに暮らす青年。両親はムラドが今の生活から抜け出し成功できるよう、彼を大学に通わせるために一生懸命働いていた。しかしムラドは、生まれで人を判断するインド社会に憤りを感じ、地元の悪友とつるみ、内緒で身分の違う裕福な家庭の恋人と交際していた。ある日大学構内でラップをする学生MCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)と出会い、言葉とリズムで気持ちを自由に表現するラップの世界にのめりこんでいく。そして“ガリーボーイ”(路地裏の少年)と名乗り、現実を変えるためラップバトルで優勝を目指す事を決意する。
  • 1985年7月6日ムンバイに生まれる。本名はランヴィール・シン・バブナーニー。インド・パキスタン分離独立時に祖父母が現パキスタンのシンド地方から移住したシンディー人で、女優ソーナム・カプールとも親戚に当たる。米インディアナ大で文学士号を取った後、2010年に映画界入り。ヤシュ・ラージ・フィルムズのオーディションに合格し、『Band Baaja Baaraat』でアヌシュカー・シャルマーの相手役としてデビューを飾った。人気がブレイクしたのはサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作『銃弾の饗宴 ラームとリーラ(Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela)』(13)からで、相手役のディーピカー・パードゥコーンとは2018年に結婚した。同じバンサーリー監督作『Bajirao Mastani』(15・未)、『パドマーワト 女神の誕生』(18)と2人の共演は続き、いずれも大ヒット。その年末には『Simmba』(未)が、年明けには『ガリーボーイ』(19)が大ヒットと、ボリウッドの稼ぎ頭となった。
    1993年3月15日ムンバイ生まれ。父は人気監督のマヘーシュ・バット、母は女優のソニー・ラーズダーン、父の前妻の娘プージャー・バットはかつての人気女優でプロデューサー、叔父のムケーシュ・バットも大物プロデューサーという芸能一家に育つ。1999年の子役での出演を経て、2012年カラン・ジョーハル監督作『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』で本格デビュー。その後主演作が続いたが、特にここ3年ほどの間にめきめきと実力をつけて、若手女優のNo.1的存在となった。『パンジャブ・ハイ(Udta Punjab)』(16)以降はほとんどの作品で映画賞ノミネートの常連となり、2018年の『同意(Raazi)』ではついにフィルムフェア誌賞の主演女優賞を射止めた。本作でも、時にエキセントリックな部分を噴出させるサフィナで印象的な演技を見せている。私生活では、『SANJU/サンジュ』(18)のランビール・カプールとの熱愛がたびたび報道されており、現在共演作を撮影中である。
  • 1993年4月29日、ウッタル・プラデーシュ州生まれ。ムンバイのカレッジ卒業後、演劇活動と公認会計士の仕事を両立させていたが、「ボンベイ・タイムズ」紙のタレント発掘で優勝し、本格的に俳優の道を歩むことに。以後、ダンスや武術、アクションの訓練も重ね、連続ドラマ「Life Sahi Hai」(16・未)、「Inside Edge」(17・未)に出演。ゾーヤー・アクタル監督に見出されて出演した本作で、一挙に注目される存在となった。
    1984年1月10日生まれ。フランス人の両親のもと、南インドのポンディシェリーで誕生。ウーティー近くの村で成長し、ロンドン大学に進学。演劇を学び、劇団で女優として活躍した。インドに帰国後、2009年にアヌラーグ・カシャプ監督作『デーウD(Dev D)』でデビュー。幼い娼婦を演じて注目され、フィルムフェア誌賞助演女優賞を獲得した。その後『人生は一度だけ(Zindagi Na Milegi Dobara)』(11)、『若さは向こう見ず』(13)、『マルガリータで乾杯を!』(14)等で達者な演技を見せ、演技派女優としての地歩を築く。私生活では2011年にアヌラーグ・カシャプ監督と結婚したが、2013年に別離宣言をした。
  • 1969年7月17日デリー生まれ。デリー大のカレッジ時代も舞台に立っていたが、卒業後ムンバイに移り、1999年から端役で映画に出演する。演技が認められたのはミーラー・ナイール監督作『モンスーン・ウェディング』(01)で、したたかなウェディング・プランナーが、使用人のアリスとマリーゴールド婚をする姿は、強い印象を残した。そのほか『デリー6(Delhi 6)』(09)など、約100本の映画に出演しているベテラン俳優である。
    出身は南インドのハイダラーバード。家はマルワーリーという商人カーストで、プネーの映画・テレビ研究所で学ぶことを両親に反対され、友人の援助で研究所の演技コースを修了した。ムンバイに移り短編映画に出演後、2012年の『Chittagong』(未)で長編映画デビュー。『ピンク(Pink)』(16)出演などを経て、『Monsoon Shootout』(14・未)では主役の警部に抜擢された。『マントー』(18)にも出演している。
1985年7月6日ムンバイに生まれる。本名はランヴィール・シン・バブナーニー。インド・パキスタン分離独立時に祖父母が現パキスタンのシンド地方から移住したシンディー人で、女優ソーナム・カプールとも親戚に当たる。米インディアナ大で文学士号を取った後、2010年に映画界入り。ヤシュ・ラージ・フィルムズのオーディションに合格し、『Band Baaja Baaraat』でアヌシュカー・シャルマーの相手役としてデビューを飾った。人気がブレイクしたのはサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作『銃弾の饗宴 ラームとリーラ(Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela)』(13)からで、相手役のディーピカー・パードゥコーンとは2018年に結婚した。同じバンサーリー監督作『Bajirao Mastani』(15・未)、『パドマーワト 女神の誕生』(18)と2人の共演は続き、いずれも大ヒット。その年末には『Simmba』(未)が、年明けには『ガリーボーイ』(19)が大ヒットと、ボリウッドの稼ぎ頭となった。
1993年3月15日ムンバイ生まれ。父は人気監督のマヘーシュ・バット、母は女優のソニー・ラーズダーン、父の前妻の娘プージャー・バットはかつての人気女優でプロデューサー、叔父のムケーシュ・バットも大物プロデューサーという芸能一家に育つ。1999年の子役での出演を経て、2012年カラン・ジョーハル監督作『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』で本格デビュー。その後主演作が続いたが、特にここ3年ほどの間にめきめきと実力をつけて、若手女優のNo.1的存在となった。『パンジャブ・ハイ(Udta Punjab)』(16)以降はほとんどの作品で映画賞ノミネートの常連となり、2018年の『同意(Raazi)』ではついにフィルムフェア誌賞の主演女優賞を射止めた。本作でも、時にエキセントリックな部分を噴出させるサフィナで印象的な演技を見せている。私生活では、『SANJU/サンジュ』(18)のランビール・カプールとの熱愛がたびたび報道されており、現在共演作を撮影中である。
1993年4月29日、ウッタル・プラデーシュ州生まれ。ムンバイのカレッジ卒業後、演劇活動と公認会計士の仕事を両立させていたが、「ボンベイ・タイムズ」紙のタレント発掘で優勝し、本格的に俳優の道を歩むことに。以後、ダンスや武術、アクションの訓練も重ね、連続ドラマ「Life Sahi Hai」(16・未)、「Inside Edge」(17・未)に出演。ゾーヤー・アクタル監督に見出されて出演した本作で、一挙に注目される存在となった。
1984年1月10日生まれ。フランス人の両親のもと、南インドのポンディシェリーで誕生。ウーティー近くの村で成長し、ロンドン大学に進学。演劇を学び、劇団で女優として活躍した。インドに帰国後、2009年にアヌラーグ・カシャプ監督作『デーウD(Dev D)』でデビュー。幼い娼婦を演じて注目され、フィルムフェア誌賞助演女優賞を獲得した。その後『人生は一度だけ(Zindagi Na Milegi Dobara)』(11)、『若さは向こう見ず』(13)、『マルガリータで乾杯を!』(14)等で達者な演技を見せ、演技派女優としての地歩を築く。私生活では2011年にアヌラーグ・カシャプ監督と結婚したが、2013年に別離宣言をした。
1969年7月17日デリー生まれ。デリー大のカレッジ時代も舞台に立っていたが、卒業後ムンバイに移り、1999年から端役で映画に出演する。演技が認められたのはミーラー・ナイール監督作『モンスーン・ウェディング』(01)で、したたかなウェディング・プランナーが、使用人のアリスとマリーゴールド婚をする姿は、強い印象を残した。そのほか『デリー6(Delhi 6)』(09)など、約100本の映画に出演しているベテラン俳優である。
出身は南インドのハイダラーバード。家はマルワーリーという商人カーストで、プネーの映画・テレビ研究所で学ぶことを両親に反対され、友人の援助で研究所の演技コースを修了した。ムンバイに移り短編映画に出演後、2012年の『Chittagong』(未)で長編映画デビュー。『ピンク(Pink)』(16)出演などを経て、『Monsoon Shootout』(14・未)では主役の警部に抜擢された。『マントー』(18)にも出演している。
Filmography
2009『チャンスをつかめ!(Luck by Chance)』(第22回東京国際映画祭2009で上映)
2011『人生は一度だけ(Zindagi Na Milegi Dobara)』(第8回ラテンビート映画祭2011で上映)
2013『ボンベイ・トーキーズ(Bombay Talkies)』(オムニバス映画、Netflixで配信中)
2015『慕情のアンソロジー(Lust Stories)』(オムニバス映画、Netflixで配信中)
2018『Dil Dhadakne Do(心は高鳴るままに)』
2018『ガリーボーイ(Gully Boy)』
1972年10月14日ムンバイ生まれ。父は有名な詩人、作詞家で、『炎(Sholay)』(75)等ヒット作の脚本家としても知られるジャーヴェード・アクタル。母は脚本家のハニー・イーラーニーだが、両親は1985年に離婚、父はその後大物女優シャバーナー・アーズミーと再婚した。弟は、監督、俳優、プロデューサーとして活躍する、『ミルカ』(13)の主演俳優ファルハーン・アクタル。インドの大学を卒業後、ニューヨーク大の映画学校で映画製作を学び、1998年『Bombay Boys』(未)の助監督として映画界入り。その後、弟ファルハーンの方が先に『Dil Chahta Hai』(01・未)で監督デビューしたため、この作品や、次作『Lakshya』(04・未)で助監督を務めた。2009年『チャンスをつかめ!』で監督デビュー。続く『人生は一度だけ』(11)がヒットし、舞台となったスペインにインド人観光客が押し寄せる現象が起きたことから、その手腕が評価される。以後、アヌラーグ・カシャプ、カラン・ジョーハル、ディバーカル・バネルジーという個性的な大物監督たちと組んで、2本のオムニバス作品、『ボンベイ・トーキーズ』(13)と『慕情のアンソロジー』(18)を発表。その合間には、豪華スター競演の『Dil Dhadakne Do』(15・未)をヒットさせた。2019年に米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーより新規会員の招待を受けた。